私は大学を卒業して、公立中学校の美術の先生として働き始めました。
「美術を教えたい」という思いで現場に入りましたが、制度や慣習、さまざまな価値観が入り混じる中で、思っていた以上に複雑な世界だと感じました。
2014年に教員になった当時、学校はまだ「相対評価」という成績のつけ方をしていて、学力を順位で比べる考えが残っていました。そこから10年の間に教育の考え方は大きく変わり、知識の量よりも「考える力」や「自分で行動する力」を大切にするようになりました。ICT教育が広がり、コロナ禍も経験する中で、学校は「答えを教える場所」から「問いを生み出す場所」へと変わってきたと感じています。

私自身も、その変化と一緒に成長してきました。
最初のころは、授業を安全に終えることで精一杯で、教科指導や生徒指導の意味を深く考える余裕もありませんでした。けれど、2021年に人権教育の授業実践に取り組んだことが大きな転機になりました。コロナ禍で多くのことが制限される中、「なぜこの活動を行うのか」と改めて考え、教育とは生徒一人ひとりが安心して学び、自分の力を伸ばしていくためのものだと実感しました。
教育とは生徒の人格形成において、その資質を最大限に伸ばす営みであること、そしてそのためには「安心して学ぶことのできる集団づくり」が大切でさらに、その基盤には相互理解と特別支援教育的な視点が深く関わっていることを実感として理解してきたのも働き始めて6年ほどです。
美術の授業は、単に技術を教える場ではなく、生徒が自己理解を土台に、他者の意見や異なる価値観に触れながら自分の考えを形成し、自分の意志で作品を構想・決定し、表現する時間である。そのプロセスそのものが、「自分の考えを自分の言葉と形で伝える力」を育む学びであると感じています。
その後、高等学校での実践では、描く・つくる力の育成と同時に、考える力、感じ取る力、他者と協働する力といった非認知的な力の育成にも重きを置いています。生徒はともすれば「どう作ればいいのか?」という“正解”をすぐに求め、決定を教師にゆだねてしまう傾向がありますが、その裏には、失敗を恐れる気持ちや、評価を意識しすぎる不安、また「自分で考えても意味がない」といった学びへの諦めが潜んでいるのかもしれません。しかし、中学校・高等学校のいずれにおいても、私は自分の意志で決定し、失敗も成功も含めてその結果を受け止めながら制作する経験が大切です。その過程こそが、他者の模倣ではなく、自らの思考と感情を形にする力を育むと考えています。創作の過程には、計画し、試し、失敗し、また立ち上がるという学びの循環があり、その経験が自己理解の基盤を形作っています。
美術教育は、作品を上手につくるためだけのものではなく、「自分を見つめ、他者とつながり、社会の中で自分を表現する力」を育てる時間です。
生徒が挑戦し、悩みながらも自分の表現を探す姿を支えたいと思いながら、日々授業に取り組んでいます。
生徒は、美術の授業において、のびのびと制作に取り組む生徒もいれば、一方で、非常に勇気を出して制作に挑んでいる生徒もいます。表現することには、楽しさと同時に、他者に見せる不安や自信の揺らぎも伴います。だからこそ、「つくる」という行為そのものをまず肯定的に受け止め、生徒とともに考えながら、その歩みに寄り添い、伴走するような授業を行いたいと考えています。
