大学/大学院の時の制作について

私は、自分の心の中に立ち上がる「妄想」を、絵画としてかたちにしてきた。私にとって妄想とは、現実の出来事や風景をきっかけに、不意に心の奥から立ち上がるイメージであり、意図的に生み出すというより、向こうから訪れるような感覚に近い。それを画面に定着させることで、自分の内側を確かめると同時に、他者と心の奥にある感覚を響き合わせたいと考えていた。

『おふろ』2011年910×727mm
パネルに和紙、墨・鉛筆・胡粉
 

大学生時代の制作では、虫や内臓、廃墟など、一般的には避けられがちな題材に惹かれ、それらに潜む美しさや存在の気配を描いてきた。気味悪いものを「なぜ見たくないのか」と問いながら、その中に私自身の感覚の根を探していたのだと思う。そうしたモチーフを描くこと扱うことは、単に異端性を示すためではない。人が無意識に避けてしまうものの中にこそ、人間の感情や記憶を共有しうる普遍的な入口があると感じて制作していた。

『そこにあったかもしれない 影 』 2009年 木炭 車輪 (写真L版) 
『トイレ』 2008年420×594mm
パネルにカラー写真のコラージュ
『お別れ』
2012年1620×1300mmパネルに和紙 墨 岩絵具
『じゅるじゅるつめつめ』
2012年 2273×1818mm パネルに和紙 墨 岩絵具

大学院では、マックス・エルンストらシュルレアリスムの作家に出会い、偶然性や潜在意識を扱う思想に共鳴した。とくに「現実から出発して無意識を露わにする」という姿勢は、自分の妄想のあり方と重なっていた。私はデカルコマニー、自動筆記、コラージュを実験し、異質なものの出会いから新しい意味が生まれるコラージュが、自分の制作に最も適していると感じた。偶然の組み合わせから立ち上がる光景は、私だけの発想を越え、他者の記憶や感情と接続する可能性を秘めている。

コラージュからのドローイング
コラージュからのドローイング

修了制作《死んじゃったの?》(2014)は、祖父の葬儀を題材にした作品である。葬儀という形式的な儀礼を通して、悲しみとともに湧き上がった不条理で少し滑稽な妄想を描いた。暗さと可笑しさが同居するその光景を通じて、死をめぐる人の感情の複雑さを共有したいと考えた。

『死んじゃったの?』
2014年 2273×1640mm パネルに綿布 水彩絵具、墨

この作品はシュルレアリスム技法の研究を踏まえ、発想段階にコラージュを導入した。コラージュ→ドローイング→本画という多段的プロセスを設計し水彩によるドローイングを挟むことで、デジタル素材では得られない手の息づかいやにじみが加わり、内的な感情が画面ににじみ出る結果となった。

コラージュでは多数の試作の中から現代美術作家やなぎみわの《ヴェネチア・ビエンナーレ日本館出品作品》(2011年)の図録写真(出典:『Miwa Yanagi: Windswept Women』The Japan Foundation, 2011)を選び、葬儀の一場面に参照・再構成したものを軸とした。また、被り物の形を検討し「ナス」を頭部モチーフとして再構成した。ナスは日本の土着的な祭礼に通じる形態と滑稽さを兼ね備え、葬儀の儀礼的緊張と個人的記憶のあいだに漂う不条理な可笑しみを象徴する要素となった。

『葬儀のためのコラージュ』 2013年
紙にインクジェットプリント 297 × 420mm
『葬儀のためのドローイング』2013年
紙に水彩絵具、墨 364×515mm
ナスを再コラージュしたエスキース
2013年 パネルに綿布 水彩絵具、墨 364×515mm

本作品は、こうしたコラージュの再構成・ドローイングの呼吸・下地やにじみの研究を通して、「死」と「記憶」をめぐる潜在意識の風景を可視化しようとする試みである。

私は、妄想を「個人の逃避」ではなく「他者と感覚を交わすための場」として描いている。絵画を通じて、見る人の心の奥に眠る感情を静かに呼び覚まし、現実と内面のあわいで出会う瞬間をつくりたいと願っている。

大学および大学院での研究を通して、私は「妄想」という個人的で曖昧な心象を、他者と共有しうる造形表現へと昇華するための具体的な方法を獲得した。とりわけ、コラージュを構想段階に導入し、それをドローイングを介して再解釈するプロセスが、思考と感覚の両面を結びつける媒介として極めて有効であることを確認した。コラージュによる偶然的結合は、私の妄想を常識の枠組みから解き放ち、一方で水彩ドローイングを挟む工程は、そこに身体的な息づかいと感情の温度を取り戻す装置として機能した。この段階的制作法は、イメージの客観化と内面化のバランスを取り、より豊かな妄想世界を形成する助けとなった。

また、下地とにじみの研究を通して、素材そのものが心理的なイメージを支える重要な要素であることを実感した。吸収性下地は紙のような繊細なにじみを完全には再現できないが、修正や塗り重ねが可能で、描く行為そのものに思考の余地を与える。こうした可逆性のある素材操作は、私の制作に「偶然を受け入れる柔軟さ」と「描きながら考える思索性」をもたらした。

妄想を描くことが自己の内面を掘り下げる行為であると同時に、他者の心に潜む無意識への呼びかけであると思っている。絵画は閉じた幻想ではなく、感情の奥底で共鳴を生む。今後もこの工程を発展させ、妄想の中に潜む不条理やユーモアを通して、人の心の奥にある曖昧で愛しい領域を描き出していきたい。